いつ来るか分からない大災害にそなえ、地域でも取り組みが進んでいます。浪速区、そして最新事情も一緒にピックアップ!
阪神淡路大震災―18年前の真野は
神戸市長田区南部の真野地区は、長屋と中小企業が混在し、さながら大阪の弁天町や大正のような雰囲気の街。1960年代、公害反対運動に住民が立ち上がり、また、老人福祉活動にいち早く取り組むなど先進的な地域でした。
18年前の阪神淡路大震災の初動対応でも真野の町会は素早く動きました。震災後3日目に災害対策本部が設置され、ボランティアの受け入れ、避難所運営、行政との交渉などが地域主導で進んだのです。
地区13ヵ所で自然発生的に避難所が開設され、企業所有の体育館が避難所として開放されました。企業と地元消防団や住民が初期消火にあたり、住民のバケツリレーで火災を最小限に食い止めました。倒壊家屋からの救助作業では若者の力が大きかったといいます。助け合う「共助」の精神が根づいていた様子がうかがえました。
浪速区の防災活動
今年度、浪速区では「収容避難所開設・運営訓練」(※1)が3地域で実施されますが、生田さんによると、この訓練は防災訓練の中でもハイレベルな内容だそうです。避難所開設から運営を実践形式で試行するので、まちに体力が備わっていなければ成立しません。実際に体験し、気づいた課題の解決に向けて話し合い、訓練を重ねながら進めていきます。そのやりとりがさらに結びつきを深めるのです。
※1「収容避難所開設・運営訓練」
大規模な災害が発生した場合等、円滑な収容避難所の開設から運営をめざす訓練。
また、「災害の記憶を風化させない」ことも大切、と生田さんが紹介してくれたのが、紙芝居や劇を通じた防災学習。特に、地域の人が参加する防災劇は、みんな素人。せりふが飛んだ時にそばにいる人が耳打ちしてあげる場面、実はそんな中に助け合いの気持ちが自然と生まれていくそうです。
真野の町会加入率90%!驚異的な数字には驚きましたが、地域住民や企業が協力して色々なイベントを開催しているという真野地区。楽しいイベントを通じた結びつきも「災害に強いコミュニティ」の力を養うのに欠かせないといえます。
全員で浪速区防災マップを広げてチェック。「この大通りは災害時に渡れるのか?」「意外と避難ビルが多いなあ」など意見が飛び交いました。