”御蔵跡“を知っていますか。
高島屋別館の東側は、かつて「東の花川戸(浅草)、西の御蔵跡」と呼ばれ、往時には200軒もの問屋が並んだ全国でも有名な履物問屋街が広がっていました。
現在の阪神高速高架下はかつて水路だったことから、荷出しには絶好のロケーションだったそうで商売人が行き交ったのでした。しかし現在「御蔵跡(おくらと)」という地名は住居表示からは姿を消しています。履物問屋も35軒にまで減少しましたが、地名を残し安心安全なまちづくりをと「おくらと守る会」が10年前に発足しました。
日本橋御蔵跡振興町会会長の今西健藏さん(左)と大阪履物卸連合会長の大石一雄さん。
発起人の今西さんもかつては問屋を営んでいた一人。「商売しながらまちのお世話をするのは自然なことでしたんで」と、住民だけでなく問屋街の商売人にも呼びかけ、地域活動に取り組んでいます。ちなみに御蔵跡は「おくらあと」ではなく「おくらと」と読むそう。大石さんは「せっかちな大阪の商売人独特の言葉なんでしょうね」と話してくれました。