【小学校の校歌を調べてみた② ~取材編~ 】

◎はじめに

浪速区内の小学校の校歌を集め、その歌詞の中にみられる地域の歴史をひも解いてみようと始まったこのコラム。前回は、校歌収集の一部始終を書きました。その後、2017年4月に開校した浪速(なみはや)小学校の校歌も入手し、戦後~現在までの校歌がそろいました。でも、これらの資料をどう分析したらよいのか、分かりません。そこで専門家に相談してみることにしました。 

◎紹介

今回お話を聞いたのは、日本美術史を専攻する美術史家で大阪大学教授の橋爪節也さんです。先生の「大大阪(だいおおさか)イメージ 増殖するマンモス/モダン都市の幻像」という著書の中で、大阪市内の学校の校歌に関する論説があるということで、取材を申し込みました。 

◎歌詞から見えてきたこと

先生は、校歌の歌詞や資料をパラパラとめくりながら、おおきく4つのポイントを挙げて解説してくれました。順に説明していきましょう。 

気になる個所を何度も音読する橋爪先生。
気になる個所を何度も音読する橋爪先生。

 (1)戦前と戦後の思想転換

先生がまず注目したのは、校歌がつくられた年でした。今回見ていただいた校歌は、みな戦後に制定されたものだったのです。先生の本にも、昭和22年の学制改革の後に多くの学校で校歌が制定されたことが記されています。

文化日本平和日本平和世界、これらは戦後の平和主義の象徴的な言葉です。すくすく、世界の空にのびゆく、などの表現もそうですね。戦争の暗い世界から平和主義や文化復興へと、教育思想が変わったことが分かります。戦前の校歌の歌詞はこんな感じではありませんから。浪速区には今宮高校がありますよね。そこに、戦前の旧制中学校の校歌が残っている可能性があります。比較してみるとよく分かりますよ」。下記は、コメントに出てくる歌詞の一例です。

 


 文化日本のよい子ども みんなのびゆく 立葉校

・いつもにこにこ 手に手をとりて 平和世界の われらのすがた

 (もと立葉小学校 1955(昭和30)年制定 平林治徳作詞 川澄健一作曲)

 

平和たたえる 明るい日本 希望のあした 手をつなぎ

 (難波元町小学校 1985(昭和60)年制定 福本正治作詞 石井荘治作曲)

 

・戎の宮の 恵みを受けて すくすく 育つよ 恵美の子 われら

世界の空に 伸びゆく明日の 希望のしるし 雲をよぶ 通天閣よ

 (もと恵美小学校 校歌制定年・作詞者・作曲者 不詳) 


 

(2)大阪市域拡張と歌詞の「大大阪(だいおおさか)」

大阪市内のいくつかの小学校校歌の歌詞に「大大阪(だいおおさか。以下、読み仮名省略)」または「大大阪の中心地」という表現が使われています。この「大大阪」とは、大阪市が大正後期から昭和初期に産業や経済が発展した時代のことで、当時はグレーターオオサカやグレートオオサカといった呼び方もありました。ここ浪速区でも、もと難波小学校、もと日東小学校、塩草立葉小学校、の3つの学校の校歌の中で見つけました。それぞれの校歌での「大大阪」の表現部分を以下に紹介します。

 

 


 ・なんば小学校 わたしの学校よ いつも楽しい明るいまなびや

 大大阪の中心地 ビルのならんだ 谷間から 明るい ぼくらの歌が きょうも ひびくよ さわやかに

 (もと難波小学校校歌 1964(昭和39)年制定 山中二郎作詞作曲)

 

・塩草 立葉は われらの町よ 大大阪の 中心地

 (塩草立葉小学校(※もと塩草小学校校歌を一部変更) 1966(昭和41)年制定 原野操作詞 山中二郎作曲)

 

・手をとりおうて 伸びようよ 大大阪の 日東校

 (もと日東小学校 1954(昭和29)年制定 詞 日東小学校撰定 曲 田中京二作曲)

 


 橋爪先生は、この『大大阪』の表現を大阪市市域拡張(※)とセットで捉えるべきと分析されました。「大阪市では、明治30年に第一次、大正14年に第二次、昭和30年に第三次と、大きく3回の市域拡張がありました。第二次、第三次市域拡張の時、住民の自覚をたかめるために、たびたび『大大阪』という言葉が使われました。第三次市域拡張の前後は、校歌が多く作られた時期とも重なりますから、校歌にも用いられたのでしょう。ただし、浪速区は第一次ですでに大阪市に編入されていますから、何らかの意味を込めて使ったとみるのが自然です」。

橋爪先生は、もう一度歌詞を見比べながら、その理由について、「第二次、第三次で編入した地域に対して、浪速区はそれより前から大阪市だという誇りを示そうとしているのかもしれませんね。『大大阪の中心地』という表現からも伺えます。格の違いをほのめかそうとしているとも考えられます」と仮説を立てました。

また、町の変遷にもふれて、「浪速区は、昔は田畑だった土地に工場ができて、労働者がたくさん住むようになり、都市型の町、商業地へとうつりかわっていった地域の1つです。戦争での焼け跡から再興をとげた土地でもあり、町の発展への思いを『大大阪』という言葉に託しているとも考えられます」とも話してくれました。

 大阪市市域拡張~日清戦争をきっかけとした大阪市の近代化にともなって行なわれた都市整備事業)

複数の校歌を見比べると、新たな発見が…
複数の校歌を見比べると、新たな発見が…

(3)当時の地理的特性

木津や堀江川など、地形を示す表現について「川や海を連想させますよね。敷津小学校の歌詞にある、源はるか、という表現の「源」とは何の源のことでしょう、どこかの川のことでしょうか。また、いくつかの校歌に出てくる「なにわづ(浪速津、難波津)」(※)という言葉にも愛着があるようです。『なにわ』ではなく、『なにわづ』と言葉を選んでいます。戦前の地形を調べたら分かるかもしれませんね」。現在の地形ではあまりピンときませんが、『なにわづ』とは、大阪平野の浅い海のことをさし、難波(なにわ)は、①浪速(なみはや)のなまった言い方、②魚庭(なにわ)魚のたくさんとれるところ、が語源で、どちらも海にまつわる言葉でした。今だと、『なにわづ』は海や浜、『なにわ』は商売、活気、町を連想し、昔と今では印象が異なります。参考として、コメントに出てくる歌詞の部分は以下の通りです。


 

・歴史にかおる 浪速津の文化(難波元町小学校 1985(昭和60)年制定 福本正治作詞 石井荘治作曲)

 

・流れいく世の 堀江川(日吉小学校 校歌制定年・作詞者・作曲者 不詳)

 

・山遠く 源はるか 木津の里

難波津に 光さしそい 波つづき 四方(よも)に広がる

(敷津小学校 校歌制定年不明 森田武躬作詞 上田淑人作曲)

 

・浪速の南 木津の里(大国小学校 1954(昭和29)年制定 池永治雄作詞 山中二郎作曲)

 

・いくちとせ 歴史にかおる 難波津の 文化のわだち(もと元町小学校 校歌制定年・作詞者・作曲者 不詳)

 

木津の流れの やすまぬように うまず たゆまず 学びの道に

 心きたえて 身をねりて みんなのびゆく 立葉校

 (もと立葉小学校 1955(昭和30)年制定 平林治徳作詞 川澄健一作曲) 

 

(4)当時の時事、世相の反映

また、地形以外に『宇宙』、『日本』という歌詞もいくつかあり、最初歌詞を読んだ時にえらく飛躍するなぁという印象があったのですが、この点について橋爪先生から、「歌詞が作られた頃に、誰かが月に行ったとか宇宙にまつわるニュースがあったのでしょうか。日本という歌詞は、オリンピックと関係があるのかもしれません。メロディーにもよると思いますが、もと日本橋小学校の校歌などは、応援歌的な要素も感じます」と。これについては歴史年表と校歌制定年を照らし合わせてみると分かりそうです。参考として、コメントに出てくる歌詞の部分は以下の通りです。


 ・朝夕眺むる 学舎に 強く 正しく 朗らかに

 学ぶ われらは 生き生きと 明日の日本へ 伸びゆかん

・強く 正しく 朗らかに 励む われらは 限りなく

 あおぐ宇宙に 羽ばたかん 夢のふくらむ 難波元町小学校

 (難波元町小学校 1985(昭和60)年制定 福本正治作詞 石井荘治作曲)

 

・強く 正しく 美しく あすの日本を この肩に 励むわれらは 希望にもえて

・あすの世界を この胸に 学ぶわれらの 理想ははるか

 おお あおぐ あおぐ 星かげ 宇宙のかなた あおぐよ

 (塩草立葉小学校 1966(昭和41)年制定 原野操作詞 山中二郎作曲)

 

・暮れゆく大空 光をまして きらきら輝き またたく星よ 

 広い宇宙を わがものと 今にまで までも

 つばさ広げて とび立つわれら 日本日本日本 日本橋小学校

 (もと日本橋小学校 1963(昭和38)年制定 本庄初幸作詞 山中二郎作曲) 

 

◎まとめ

今回、橋爪先生からお話を聞いて、校歌がつくられた当時の時代や歴史的な背景と歌詞との密接なつながりがうかびあがってきました。「卒業生の方にお話を聞いてみてもいいんじゃないでしょうか。他区の校歌と比較してみるとか、おもしろい部分を切り出して紹介してみるという方法もありますね」とアドバイスも。先生からのヒントをもとに、もう少し掘りさげてみたいと思います。


【参考文献等】

・「大大阪イメージ 増殖するマンモス/モダン都市の幻像」編著者 橋爪節也、創元社、2007年

・「消えたわが母校 なにわの学校物語」著者 赤塚康雄、柘植書房、1995年

・「続 消えたわが母校 なにわの学校物語」著者 赤塚康雄、柘植書房、2000年  

・「日吉百年」大阪市立日吉小学校百周年記念事業委員会、1974年

・大阪市ホームページより、デジタルギャラリー2013「大大阪の建設―公文書にみる大正・昭和戦前―」