【小学校の校歌を調べてみた④~最終回~】

◎はじめに

校歌コラム最終回・前編では、大阪市城東区の榎並小学校の校歌をもとに、戦前から戦後の小学校校歌を比較してみました。後編では、浪速区内の戦前の校歌、そして、平成の校歌を見比べてみます。

◎戦前の校歌(浪速区内)

立葉小学校校歌(旧) 1938年(昭和13)制定

 

なにわのみやこ きずがわの

ながれもきよき そのほとり

れきしはながし ごじゅうねん

われらのぼこうは おいたちて

そのなもゆかし たてばこう

われらは たてばしょうがくせい

上記は、戦前に作られた立葉小学校の校歌です。当時、大阪は商業都市として繁栄するとともに、大阪城公園・天守閣の完成、梅田から心斎橋までの地下鉄御堂筋線開通、観光艇「水都」の就航、市立美術館や電気科学館の開館、御堂筋の完成など、大規模な都市計画がすすんだ時代でもありました。なにわの都 木津川の 流れもきよき そのほとりとは、水都として活気にあふれる大阪の様子を描いているのかもしれません。

また、歴史は長し 五十年とありますが、1888年(明治21)に西側簡易小学校として創立されたという沿革の記録がありました。「簡易小学校」は、当時の教育制度改革をすすめるために定められた小学校令(1886年)により設置されました。貧困家庭の児童も教育が受けられるように、授業料不要、3年制で、読書・算術・作文・習字の4教科を教えるための学校だったそうです。

 


下記のリンクでは、大阪市中央区船場地域で撮影された1930~1960年頃の写真が紹介されています。

1937年(昭和12)の天神祭の船渡御の写真では、現在と変わらないにぎわいを感じます。1938年(昭和13)に撮影された小学校の防空訓練の子どもたちの表情や服装を見ても、まだ戦争の影がしのびよる様子はありません。

http://www.asahi.com/gallery/senba_showa/

(朝日新聞デジタル「大峯伸之のまちダネ 昭和の船場フォトギャラリー」)


◎平成の校歌

これまで、浪速区内の小学校の歌詞に見られる地域性や、作られた時代背景などを調べてきましたが、区内にはもう一つ、平成時代に作られた校歌があります。恵美小学校、日東小学校、日本橋小学校が統合して、2017(平成29)年に開校した浪速(なみはや)小学校です。 

浪速小学校校歌(2017年(平成29)制定 いときん作詞 前田和彦作曲)

 

浪速(なみはや)の学び舎に 元気よく集う

賑わう町伸びゆけと そびえる通天閣

人の輪それこそが皆のふるさと

春夏秋冬(はるなつあきふゆ)に 友と知り学ぶ

人の気持ち分かる 優しい心

 

おもしろい一日を たくましく生きる

間違いを正す勇気と 認め合う豊かさで

夢を叶えに行こう 進め明日(あした)へ

雨のち曇りでも いつかまた晴れる

この広い大きな世界の一人

何より大切な 一つの命

1番では、浪速通天閣で地域を表すとともに、ふるさとという言葉を用いて、土地や人への愛着を表わしていることがうかがえます。そして、元気よく集う人の輪友と知り学ぶなど、別々の小学校に通っていた子どもたちが、新しい小学校で仲良く学ぶことを願う気持ちがこめられているようです。

また、この校歌が作られた2016年は、リオデジャネイロ夏季オリンピックや前アメリカ大統領の広島訪問、熊本地震などがあった年でした。2番では、そういった出来事が歌詞にうつしだされているようにもみえます。明日広い大きな世界の一人雨のち曇りでもいつかまた晴れる何より大切な一つの命など、子どもたちに未来への希望を託しているようです。

 

※下のボタンをクリックすると浪速小学校の校歌をダウンロードして聴くことができます。

◎おしまいに

これまで4回にわたって浪速区内の小学校校歌について紹介してきましたが、それぞれに町の地形や特徴、大阪の歴史、当時の時代背景や思想が色濃く表れていました。特に、大正から昭和にかけて近代化がすすんだ都市の変遷が小学校校歌の歌詞に垣間見えて興味深い追跡調査でした。