第1回木津勘助さん

弱きを助け、強きをくじく ナニワが誇るスーパーヒーロー

 

 天神祭の船渡御、船上にある『お迎え人形』をご存じだろうか。豊臣秀吉、真田幸村、源義家らとともに木津勘助も飾られ、大阪府有形民俗文化財にも指定されている。天神橋筋商店街入口のレプリカで見たことがあるかもしれない。そのほか、浪 曲や歌舞伎、落語にもなっている木津勘助。人気の秘密を探ってみよう。

 

 木津勘助(本名:中村勘助義久)は木津川の堤防工事と新田開発で水運の基盤を整えた。これは当時仕えていた豊臣家より「勘助島」(現在の大正区三軒家)の名が与えられたほどの名事業であり、大阪の発展に大きく貢献した。

 

 

 そんな勘助をさらに有名にしたのは寛永16年(1639年)に起こった大飢饉。私財を投げ打って大阪の人々を救済したほか、福岡黒田藩の御蔵破りをして米俵を分け与えたという。事件後、勘助は自首し流刑が決まったものの、流刑先はすぐ隣町(現在の大正区)。実はその米は豪商・天王寺屋へ売買契約直後であり、黒田藩は実被害なし、天王寺屋の財力にも影響なし、という絶妙の選択だったとか。木津勘助はナニワの庶民のスーパーヒーローなのだった。